そうそう、このブログの題を見ていて、また私の仮説が浮かんでしまったので、記載しておきます。
私たちのような動物は、遺伝子などという小さな設計図を、過去からずーーーっとひきついできて
今のわたくしがあります。これはすごいことで、何回引き継いだのかなーと考えただけでも、その天文学的回数のすごさに圧倒され、過去の祖先からの引継ぎのすごさに感銘してしまいます。
そんなかけがいのない命は、これからもずーっと引き継いでゆけるような、すばらしい未来を今、考えておかなければと思います。一部のほんの0.000...01%の人によって多数の命が失われる不条理は避けたいものですね。
で、その引継ぎはいつごろから始まったのかと考えたのですが、私の仮説は水が存在したときからではないかと思いました。水はどこからやってきたかというと、偶然にできるにはあまりにも多くの時間が必要で、地球の水は彗星の水でしょうから、彗星がいつできたかということになってしまい、途方もなく古いのではと考えるようになりました。
地球が熱く燃え滾ったマグマの状態のときに彗星の一部が衝突して、温度が下がり、地球に水をはぐくむようになった。つまり、宇宙の氷の塊である彗星が命の根源ではないでしょうか?
彗星はどこから、どこへ、氷を運んでいるのかと考えると、塊となっていない氷は、宇宙をさまよい、いろいろな環境の星へ飛んでいっているのではないでしょうか?
そんな状態でも、命の設計図はきっと壊れることなく、今も、ばらまかれているような気がします。そんなすごいことが現実ではないでしょうか?
命の現象は自然のエネルギー交代の一部と思っていました。しかし、自然はエントロピーを増大させるのに対し、命はエントロピーを減少させているのはなぜでしょう?
え?急に難しくなった?
エントロピーとは、混沌、と考えるとわかりやすいでしょう。
人間も多くは混沌を誘引しているっていう方もおられるでしょうが....
命を繋ぐ設計図は、少しずつ改善されて継承されてはいますが、基本は同じものを作り出してきているのです。
うーん
やっぱり難しすぎかーー
ではまた
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